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2012年6月

2012年6月29日 (金)

岩手へ行ってまいりました・その4 野田村

ダラスコ工房

 苫屋さんから村へ降りる途中、「村を守りながら倒れていった防潮林を使った木工小物」を作るダラスコ工房を訪れました。
この工房の裏手には湧水があり、水を汲みに訪れる方も多いんだそうです。

55 工房の入り口には看板が。作業所は「古狸家(こりや)」と名付けられています。朝の8時半から漁や仕事にでていないお暇なおじ様、お爺様方が集まって作業しています。
 最近建てられた小屋の奥に座って作業されているオヤジさんは仕上げのオリーブオイルを塗る作業に没頭されていました。この日は別の小屋で糸鋸の扱いの練習をしているオヤジさんと、やすりがけをしているオヤジさんと3名の方が作業されていました。
 クロマツは軽くてしなやかで加工しやすいけれど、完全に乾燥していないものは時間がたつと歪んでしまうとのこと。完全に乾燥するには2.3年かかるんじゃないかとのお話でした。
 前の晩、苫屋にてそれこそマイ箸を作れないのかという話になった時に、試作品を作ったけれど細いものほど歪みがひどく使いものにならないんだとか。
 試作品の中にあった小さなバターナイフ。パッと見見栄えもよく完成度も高かったのですが、それもどれくらい歪むのかを経過観察中だそうで。

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野田村・朝市

 イラストマップH地点、赤い大きな鳥居のところに朝市が立っていました。
(この朝市は毎月16日に開催されていると手元の観光パンフに書いてあります)
3.11にはこの鳥居の下に家の屋根がドカッと流れ着いていたんだそうです。H地点の鳥居の下から海方面を眺めると(イラストマップG地点)、復興商店(仮設店舗)が建っていました。
 朝市は海鮮類、野菜苗、花苗、生活雑貨などがあり、自家製のお餅やお豆腐を売る軽トラックもありました。
 自家製のお餅やお団子が売るおばあちゃまの屋台には、「しだみだんご」といって、餡がどんぐりからつくったアンコで作ったお大福がありました。白は普通のお餅、少し色の紫がかったものはお餅にキビが混ざっています。
野田村では古くから凶作に備えた救荒食として食べられていたそうで、独特の風味のある餡でした。同じ屋台で炭火で焼かれていたのは小麦粉とおからを混ぜたお団子を平らに伸ばし、くるみ味噌を塗って炭火で焼いたもの。このあたりの山ではクルミが沢山とれるんだそうです。もう一つ別の屋台で焼かれていたのが自家製の豆腐を串に刺してニンニク味噌を塗って焼き田楽にしたもの。このあたりではどの家庭でも大きな大豆を煮る鍋があって、節目節目に持ち回りでみんなの分の豆腐を作るんだとか。この自家製豆腐はそのまま串に刺しても崩れないくらいしっかりしたお豆腐なんだそうで、ニンニク独特の香ばしい香りが漂っていました。

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野田村保育所へ 

 マイ箸でクリスマスグッズやおもちゃ、マスクなどをお届けしてきた野田村保育所は3.11、ちょうど月に一度の避難訓練をするための準備をしている最中でした。避難訓練の場合、揺れから15分以内に500メートル先の高台の家へ避難する想定だったそうですが、園長先生が「『源平坂』に逃げろ」という言葉を思い出し、避難予定の場所よりもさらに500メートル先の高台を目指したそうです。

 

「こうゆうおもちゃで遊ばせたかったよね~」「これなんて、まずお楽しみ会で人形劇やってから子供たちに渡しましょうよ」「これ、ずごい!◎◎先生、見てみて!」「これでみんなでお店屋さんごっこできるわね」先生方も大興奮です。

 子供たちの命を守った先生方、本当にありがとう。

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68_2持参した箱からいくつかを取り出し、園長先生とお若い先生方が「日本のねー、遠いところに住んでいるお母さんたちが、みんなのために作ってくれたんだよー」と紹介。
みんなそろって「ありがとうございます!」
の元気な声。

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009_2_3道の駅・野田村の特産品

毎日10食限定で売られている「のだほたて弁当」を買うべく、三陸鉄道の駅に隣接している道の駅に。
お弁当をゲットして道の駅で物色。昨夜飲んだ山ぶどうワインに惹かれつつ、涙しながらその重さに断念(
ネットで買えることが判明 笑)。

 野田村の観光パンフから少しご紹介します:
山ブドウは野田村の特産品。ヤマセによる冷涼な気候と冬でも霜が降りる時期が比較的遅いことにより、通常よりじっくり時間をかけて熟成することで糖度が高くなるのが特徴なんだそうです。山ブドウは滋養強壮、貧血防止にも効果があるということです。10月には農園で山ブドウ狩りも楽しめるそうですよ。
 それからもう一つの特産品である[のだ塩]こちらもゲット。
のだ塩は江戸時代、北上高地を越え盛岡、秋田鹿角方面に運ばれ、米や粟とブツブツ交換されていました。牛の背に塩を積んで運んだことから行商人は「野田べこ」の愛称で親しまれ、運搬ルートである険しい山道は「野田塩ベコの道」と呼ばれました。海のない盛岡方面の人にとっては野田のお塩は冬の保存食を作るのには欠かせない貴重品だったんだそうです。
しかし昭和24年、自給製塩廃止によって数百年以上続いた野田塩の生産は一度幕を閉じます。
今は長らく絶えていた野田塩の歴史が村の青年たちによって継承され、伝統的な直煮製塩の方法で作られています。あいにく野田港にあった「のだ塩工房」は津波により流出してしまいましたが、今年2月、新しい塩工房が完成し、生産が再開されました。火入れ式の様子は野田村観光協会様のブログでご覧いただけます

69_2宮古方面行の列車まで、まだ時間があったので、海岸沿いを少し走ります。
陸中野田駅から1つ宮古方面にある野田玉川駅のちょっと先まで案内していただきました。
お昼には野田塩海鮮ラーメンをいただきました。

69_3 道の駅の2階は食堂になっていて、大きな窓からは三陸鉄道の陸中野田駅が目の前に見えます。お昼をいただいていると久慈方面に向かう「てをつな号」が。
 

0618_136 宮古方面行の列車まで、まだ時間があったので、海岸沿いを少し走ります。
陸中野田駅から1つ宮古方面にある野田玉川駅のちょっと先まで案内していただきました。

おおきなサーフボードを持ったのんちゃん像が目印。
山に向かってわき道を入っていくと、先にご紹介しました「のだ塩工房」、お隣は国民宿舎「えぼし荘」がありました。えぼし荘には野田村の避難所で生活されていた方々がお風呂に入りに来ていたそうです。そのえぼし荘からさらにちょっと上った先に下安家仮設住宅がありました。この仮設は野田中仮設よりも後に作られ、寒冷地仕様になっている、木造仮設です

71無機質なプレハブ仮設に比べると木材に温もりを感じられる仮設ですが、村の中心部からは車で15分ほど、少し生活はご不便そうです。と、ここで時間切れ。
T様に三陸鉄道陸中野田駅に送っていただき、お別れです。

 

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バタバタと大荷物を持って乗り込んだ三陸鉄道。
ホームに残るT様に手を振りながらちょっと泣きそうになりました。

でも泣かなかったのはなぜかまた絶対会える。そんなに遠くないうちに…と確信していたからです。
T様は遠くにいても、どこか心の奥底で絶対つながっている人だ。そう感じました。

マイ箸の皆さんもそうです。
お目にかかったことがある人、ない人。
お顔を知らなくても、つながっている人が沢山いる。

今回も長くなりました。
次回は最終回のご報告となる予定です。
読んでくださってありがとうございます。

2012年6月27日 (水)

岩手へ行ってまいりました・その3 苫屋

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苫屋

  パチパチと薪がはじける音。雨に似たザァザァという川の流れる音。囲炉裏の部屋にかかっている古時計がカチカチと動く音。辺りはそれしか音がありません。
ここではゆっくりゆっくり時間が進みます。
苫屋では灯りも、最低限の間接照明です。テレビも電話も…余計なものは全くない世界。
テレビを消せば、色んな時間が生まれるんですよ。ご主人がにっこり微笑みます。

42 夕飯は囲炉裏を囲んで私とオーナーご夫妻と3人でいただきました。
お酒はあまり得意ではないので、村の名物「山ぶどうワイン」を1杯いただきました。43_3

 写真は一の膳(左上から:ひじきの煮物、おから、煮豆、おひたし、お漬物。真ん中の大き目なお皿は山菜の炒め物。あえて書くことではありませんが、どれも新鮮で素材の味が濃く、とても美味しかったです。お写真を撮りそびれましたがこの後に、茶飯、さきほど囲炉裏で焼いていた鮭、お漬物、わかめとクワイ(たぶん)のお味噌汁、昆布の味噌づけのお膳がありました)。苫屋さんのお食事をいただいて、人間はこうして山や海やから自然から必要な分だけありがたく頂戴していただくのが本来あるべき姿なんだな、と思いました。

3.11、その後の事…

 本当にありがたかった。日本中の知らない誰かが手を貸してくれている、ありがたかった。と何度も「ありがとう」と頭を下げられる苫屋の奥様。
 マイ箸でお贈りしたマイ箸。どうしてマイ箸だったのか、その理由を聞いて『なるほどなるほど』とオーナーが大きく頷きます。
 
のれんやエコバック、枕カバー等をお贈りしたいきさつ話し、翌日保育所へ持って行くおもちゃを見せました。これはありがたいね、喜ぶね。嬉しいプレゼントだ。ご夫婦も手に取って眺めます。こういったハンドメイドのお品物全部に作った方のメッセージが入っていたんですね、どれだけみんな嬉しかったか…本当に喜ばれたと思いますよ。と奥様。

 紙に書かれた一言が人に元気を与え、時として残酷に傷つけることもある。
でも現実は明るく前向きな事ばかりだったわけではない、と奥様が思い出しながら…少し悲しそうな顔をしながらポツリポツリと話します。

 
4月。まだ皆が避難所で生活しているという状況で、苫屋さんにまだまだ半年以上先の秋の宿泊をキャンセルする葉書が届いたんだそうです。
 津波が怖いからいきません、秋の宿泊はキャンセルします。という言葉に、何とかこの震災を乗り越えて再建していこう、復興しようという気持ちが
一瞬で壊れそうになったそうです。

 「だってね、まだ4月に入ったばかりだったの。避難所生活が大変だった頃の話よ。もちろん宿泊がキャンセルでも構わない。地震が津波が怖いから行きたくない、その感情もわかる。でもね、『今、こんな極限のひどい状況で、三陸の…村の皆が苦しんでいる。このタイミングでなくてもいい手紙を届けに、わざわざ郵便屋さんがその一枚の葉書を届けるためだけに峠を越えてうちまでやってくるのよ。どうしても伝えなくちゃいけないとしても~津波が怖いから行けませんという言葉は残酷できつかった。本当に。」

また苫屋さんには野田村に直接届いた支援物資に対し「お礼状がない」という内容の分厚い文句の手紙が届いたこと。支援物資に対しお礼状を求めるのもどうかと思いますが、無関係の苫屋にそれに対する苦情の手紙が届くというのもおかしな話です。


発想の転換~ハンドメイドの輪

 苫屋にも沢山支援物資が届き、ご夫妻は仕分して村へ届けに行っていたそうですが、「帯も何もない化繊の着物が何枚も何枚も入ってたり、錆びて真っ赤な包丁やかけた急須が届いたこともあった」ようです。
 …箱を開けて、あぁ、これは村には運べない…どうしようかと。
善意で送ってくださってる送り主さんの気持ちはありがたいけれど、こんな冬の寒い避難所で帯もない化繊の着物はどう考えても(避難所には)持っていけない、持っていったところでそれを見た人はきっと私たちは乞食じゃないと怒ったり悲しい思
いをするんじゃないだろうか。そんなことで何度も悩んで困られたことも多々あったようでした。
 すぐに使えるものは村に持っていけばすぐに貰い手が出て引き取られますが、このような着物などは「貰い手もいない、かといっていただいた善意、捨てるわけにはいかない」どうしたものかと頭をひねった結果、生まれたのがグラシアの会という貰い手のなかった古着を裂いて、ヘアアクセサリーやストラップにして売るというプロジェクトでした。
新聞にも取り上げられましたが、このグラシアの会はやりましょう、と声をかけたのもネーミングも苫屋の奥様だったんです。


 野田村にある、まるきん大沢菓子店のブログ
グラシアの会が引き取り手の無かった古着を裂いて作っている梟のストラップの写真がありますので、のぞいてみてください。

 奥様が広めていったハンドメイドの輪。
今ではそれぞれの得意な分野を生かして5つのグループがあります。
 グラシアの会、ちよまの会、みずきの会、ダラスコ工房、福来豚チーム
この5つのグループを合わせて「しぶきの会」といいます。


 しぶきの会にはいくつか決まりごとがありました。


◎作業は必ずみんなが集まれる場所で一緒にすること◎

 個人宅に持ち帰って作業することはNGというルールを作ったそうです。
必ずおしゃべりしながら、集会所などの公共のスペースで作業する事。
自宅に持って帰ってしまうと「数をこなそうとして競争になってしまうから」だそうです。


 避難所の生活では皆が支え合って声を掛け合って暮らしていました。
それが仮設住宅に入り急に1人、2人になる。不安と孤独、欲しかったはずのプライベート空間だったのに、プレハブの壁1枚挟んだだけで、こんなに孤独になるなんて。そう感じない人はいなかったんじゃないかな、と奥様。

 何かを作ることに没頭していると、その時間は悩んだり思い出したりすることがなくなります。集まって作業する仲間がいることで孤独にならずに済む…。そのルールのおかげで、ふさぎがちだった心が救われた。苦しさを言葉にして互いに頷き共有する。作品が完成した喜びにいつの間にか笑い声が生まれ、それを聞いた人がなんだなんだと覗きに来て、私たちもやってみるかと考える。

ダラスコの会

ダラスコの会はまさに、「自分たちもやってみるか」と始めた木工作品を作るチーム。針仕事をするお母さんたちのチームに触発されて被災者自らが考えて始めたチーム。
 


 
そんな風に集まってね「何かやってみるか」と、自分たちから倒れたクロマツを使って何か作れないか考え始めてね…といって持ってきたのが写真のストラップと箸置き。
倒れた樹齢78年のクロマツを使って初めて糸鋸を扱うオヤジさんたちが、野田村のシンボルでもあるホタテをモチーフに木工小物を作って復興支援商品として販売できないか、考えて集まっているというのです。

 
糸鋸ややすりといった工具は、山の方にあった農家にあったので、そこにあった小屋を改造して、漁に出られず暇なオヤジさんや引退した方々が集まって朝から作業しているとのこと。
 これ、どうですか? 売れると思います? どうしたら売って
いけると思うかアドバイスしてください。私の前職を知ってアドバイスを求めてこられました。

 この会の設立由来と使用している松の由来を知っている人が野田村に来てこれを手に取ったら…じゃ、ひとつ。と買うことはあると思います。でも何も知らない人が買うかといえばNOだと思います。ストラップ、根付というものはもうあまり商品価値がない…いろいろお話しているうちに何か村のお土産になるような品物のアイディアはないでしょうか…と奥様。
 そこで前々回のブログでご紹介したとおり、群馬県T様の作った木製パズルを思い出し、こんなのどうでしょうという話の流れになった訳です。

44 インターネットを使えばきっと、販売ルートも広がると思うんですが、そうしてしまうことで作ることにノルマがかかったり、プレッシャーになったりしてはいけないと思うんです。時期が来れば仮設から出たいと皆思っていて、出られるならはまた漁に出たいと思っている訳で。広げすぎて「それで稼いでいこう」という欲が出てしまう事は不本意であると奥様…なるほど。
 今は野田村の道の駅や知り合いが経営する平泉の土産物屋さんに置かせてもらったりしていて、あとは全国から話を聞きつけた人が「買い取って今度のバザーで売るから20個作ってくれ」など注文をしてくれて作っているんだそうです。
突然電話で「1000個くれって言われても無理だからね、こうして買ってくださるという方が手紙を書いてきてくださって…これくらいのペースがちょうどいいんですよ」と。
こうして木工のアイディアと、パズルの図案は持ち帰ってご提案しますということになりました。


 でも正直に言って、商品化するにはまだまだ厳しい技術。
「素材はいくらでもあるからね、作る練習するのもまた楽しいんですよ。あーでもないこーでもない言ってると1日あっというまに過ぎちゃいますからね」

頑張れ!ダラスコのおやじさん!!

 もう一つ…苫屋さんとのご縁があって、静かに、静かにスタートしたプロジェクトがあります。ですがこれはもう少し目に見える形で動いた時点で、皆さんにご報告したいと思っています。

 いつの間にか壁の古時計が23時を過ぎていました。
こんなに夢中になって話し込んだのは久しぶりの事でした。

 苫屋のお風呂は母屋につながった増設された場所にあります。
少しひんやりする渡り廊下を通ってちょっと
熱めの湯をいただきました。

45 ご用意してくださったのは12畳の大きな和室。
寒さ対策で天井部分はいたが張られ、きれいにリフォームしてあるお部屋です。

静かな静かな山の夜でした。



苫屋の朝:出発

起床して囲炉裏のお部屋に行くと、オーナーが小さな音でラジオを聞いていました。
 昨夜は何とも感じなかった囲炉裏の煙が、朝はやけに目にしみます。ポロポロ涙がでてきます。お天気が崩れる時は煙が上にのぼらなくて、目にしみてしまうんだそうです。

47←煙がもやってる感じ。

朝ごはんはパン食。囲炉裏端で自家製のパンをトーストしながらいただきました。
自家製のベーコン、とりたてのはつか大根、ポテトサラダ。昨夜夕飯後に囲炉裏の灰の中に入れた卵は見事ポーチドエッグになって朝ごはんになりました。キャベツのサラダは奥様特製の山ブドウドレッシングがかかっていました。

 挽きたてのコーヒーもたっぷり。
決して贅沢じゃないけれど、豊かな朝食でした。

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50食事が終わるとご主人は縁側でクワの葉を揉む作業をはじめられました。カルシウムが豊富なお茶になるんだそうです。
その縁側には漁師彫りと呼ばれる木の飾り物がありました。裏側には『平成二十三年三月十一日 必ず元の古里に復興するぞ!エイ、エイ、オー! 岩手県野田村 漁師彫り』とマジックで書いてありました。

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46是非、村に降りる途中にあるグラスコ工房の小屋に立ち寄ってください。

朝9時半、そう別れ際に声をかけられ、迎えに来てくださったT様と苫屋を出発しました。

今回も長くなってしまいました。続きはまた次回。

 

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2012年6月22日 (金)

岩手へ行ってまいりました・その2 野田村~苫屋

Hさんのこと

 T様の計らいで地元のHさんに沿岸部を案内していただくことになりました。

 ウルトラ警備隊の隊長のようなHさん。地元のH組という会社の社長さんです。

 
ご自宅と会社は津波により全壊、現在はこの写真の野原になっているエリア(イラストマップJ付近)にありました。
 3.11当日はお仕事中で会社を離れていて、大きな揺れを感じ、ただ事ではないと思ったH
さん。ご自宅にカメラを取りに車で戻られたんだそうです。
 車をご自宅の方へ走らせていると、
前方に巨大な真っ黒い波とたくさんのクロマツがゴロンゴロンと転がってきているのを目にし、大慌てで車をUターンさせ九死に一生をえられました。(幸い、ご家族も会社の従業員も全員無事だったそうです。)
 

 夜になると緊急車両を通すのに道が通れない、なんとかならないかと連絡があり、従業員の家を一軒づつ回って「力を貸してくれ」とピンポンして歩き…と言った後、「停電してたからドンドン!なんだけどね」と言い直したHさん、集まった従業員と夜通し作業されたんだそうです。
 
季節は3月。停電の暗闇の中、ろくな防寒具も重機もないような状況、ご自宅も会社も跡形もない極限の凄まじい状況で村のために人のために必死に徹夜で作業されたHさん。
まさにウルトラマンです。

 T様はHさんのご自宅や会社流されたという状況も、
野田村の被害が久慈よりも数段大きかったことも知らず、ただただ野田村の状況が知りたくてHさんに「写メ送って」とメールしたそうで…

 
こんなすんごい状況で大丈夫?とも聞かず「写メ送れっていうんですよTさんが!」「嘘、大丈夫くらいは書いて送ったはずよ!」と、今ではお二人笑って話していらっしゃいました。こんな笑顔が出るまでどれだけ苦しい状況を乗り越えられてきたんでしょう。

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 第二堤防から第一堤防のある海辺までは、防潮林のエリアなので下が砂地です。
Hさんのジープに乗せていただいて視察しました。第一堤防は一か所、階段らしき大きなコンクリートの塊
(イラストマップC地点)が残っているだけで、堤防はすべて破壊されています。コンクリ片は再生利用するそうで、きれいに並べられています。
応急処置的に並べられた大きな黒
土嚢袋が臨時の防波堤なのでしょう。
 昭和8年の大津波を受けて、10メートルの堤防が築かれたのですが、次は12メートルの堤防になる予定だそうです。堤防の完成予定はH18年とのこと。まだまだ…先の話です。
 

 第一堤防と第二堤防の間はその78年前の大津波を受けた村民たちが、次の世代の村を守れるようにと村民自らの手で植樹したクロマツ(一部アカマツ)が防潮防風林として植えられていました。津波でそのほとんどが流され、今では20本程度がかろうじて残っています(イラストマップA地点。しかしその松も浸水し塩をかぶった影響で枯死しています。

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A_2 こちらの野田村のHPでは津波の後の空撮写真が見られます。

上記のイラストマップは野田村HPの空撮写真をもとに書き起しました。

海岸沿いに頂上に東屋が立つ小高い見晴らしの丘(イラストマップB地点)がありました。

B この丘の上に東屋を建てる工事をされたのもHさんということで、そこへ登ってみることにしました。
 丘は三階建ての建物くらいの高さでしょうか。以前このあたりはハマナスの群生地でした。
波が根こそぎ持って行ってしまったので
今はほとんどありません。丘に登る道の途中、1.2本残っていたハマナス。濃いピンクが力強く、生きるもののエネルギーを感じます。
 丘の上の東屋は欄干が一か所壊れています。中央には大きなテーブルがあったそうですが、今は波に流されて残っていません。この高さまで津波が到達していたんです。3.11以前はこの小屋はデートコースだったそうです。一日も早く素敵なデートスポットに戻りますように。


 

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D2_2 丘を降りて南にジープを走らせると倒れた松をまとめているエリアがありました(イラストマップD地点)
 3メートルほどに切り分けられた幹が積み上げられています。その隣には根っこの部分だけ集めたエリア。根っこには無数の鉄線(鉄筋住宅の中に入っているような直径2センチくらいの鉄の線。ぐにゃぐにゃに曲がっています)。外す作業をしている途中なのか、隣には鉄線の山もありました。

 さらに海岸を南に行くと整地された赤いコーンの立つエリア(イラストマップE地点)の向こうに大きく積まれた生活のかけらが無数に集まった山がありました。
大型ショベルカーの高さと比較してみてください。
手前のクリーム色の小屋は木片を入れて粉砕しチップ状にする機械です。ショベルカーで山からひとすくいして、手前のコーンのエリアに広げ、人力で8種類に分別していくんだそうです。気の遠くなるような作業です。

 

E 今年の2月下旬から3.11までの間に、朝日新聞で「今伝えたい千人の声」という顔写真入りの被災者のコメントが掲載されていました。
 野田村のあたりの人はほとんど岩手日報を購読されていると聞いていたので、もしかしたら…と、その記事で野田村の
のものを20人分ほど切り抜いて持参していました。集積場から元Hさんのご自宅があった場所へ戻りT様の車に乗りかえる際、その切り抜きをHさんに見せ「お知り合いがいたら、渡していただけますか」とお見せしたところ…あ、これ従兄のおじさん。この人、昨日一緒にバレーボールした。この人親戚の嫁…びっくりです。ほとんどお知り合いということで、切り抜きはHさんに託し案内のお礼をして別れました。


苫屋

 夕暮れ前に山道を通って苫屋さんへいかないと
…山道は街灯もないのでT様もほんとにこっちでいいのかなぁと不安顔。不安になるころ現れる「アジア民族造形館・苫屋」と書かれた看板を頼りに15分ほど車を走らせます。小さな集落が表れ、苫屋へ到着しました。

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36 L字の建物の中央、曲がった部分に紺色の苫屋ののれんがかかっています。
 
苫屋の前はザァザァと小川が流れる音と、どこか遠くで鳴く鶯の声しか聞こえません。車の音も、集落の生活音も全くありません。
 ここだけ時が止まってしまったような異空間…苫屋の印象です。茅葺屋根はH22年に青森の職人さんによって葺き替えられたばかり。真下に立つとまだ真っ白な茅が見えます。
 入り口には黒板があって、今日のランチ&カフェメニューが書いてあります「地鶏と野菜のトマトシチュー」「くるみとあんこのタルト」「チーズケーキ」…うん、おいしそう…

 と、ここで先に苫屋さんの宿泊案内を。

 
苫屋 〒028-8201 岩手県九戸郡野田村大字野田5-22

 ※電話はありませんのでお問い合わせ、ご予約はお手紙で。
 1泊2食6,000円(税込)/冬場は6,500円 1日3客まで。
 カフェ&ランチは午前9:00~午後6:00、月曜定休 予約不要
 ※お風呂は2.3人一緒に入れそうな広いお風呂があります。(タオルの用意はありません)
 ※町の中心から一日2本、最寄りのバス停までのバスがあります。
 お食事は囲炉裏端でご主人夫婦が無農薬・不耕起で育てた野菜が、創作料理にアレンジされたものがいただけます。
 電話はありませんが、docomoのみ圏内でした。

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40 苫屋に到着した時にはご主人は畑に出ていらしたのかご不在でした。
 しばし、囲炉裏端でコーヒーを飲みながらT様と休憩しながらおしゃべり。   囲炉裏のそばの古い木炭ストーブをテーブルにした作業スペースでクルミを割りながら、苫屋の奥様も自然に会話に加わります。
 3.11のこと、避難所の事、仮設住宅の事…マイ箸プロジェクトのこと…。
あたりがすっかり暗くなる前にT様は帰らないと(迷子になるので 笑)いけないので、苫屋のご主人が帰宅した後お帰りになりました。

 この後、囲炉裏端でお夕飯をいただきながら、23時過ぎまで、苫屋さんのオーナーご夫妻と語り合います。

 今回も長くなってしまいましたので、次回へ続きます。

2012年6月21日 (木)

岩手へ行ってまいりました・その1 二戸~野田村

マイ箸の皆様が作ってくださったハンドメイドのおもちゃを持って、野田村へ行ってまいりました。1泊2日の強行軍でしたが、
久慈のT様の計らいで普通の観光ではお話聞けなかったような地元の方のお話も聞くことができました。
文章は素人ですので若干時系列が前後したり、余談&脱線もかなり含まれますが、
私とおしゃべりしながら一緒に旅をしてイメージで読んでいただけると幸いです。


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6月15日(金)

 自宅を出て4時間半、二戸へ到着しました。新幹線のホームがイメージしていた東北と
大きくかけ離れた近代的な
…まるで国際展示場のような…駅舎で少々面食らった管理人です。
 この二戸駅には東北新幹線の他、「いわて銀河鉄道線」という
盛岡から青森の三戸郡の目時駅まで走る在来線が乗り入れています。
こちらの改札も宇宙をイメージした紺と銀河をイメージした小さな☆があしらわれている

まるでプラネタリウムの入り口のような真新しい改札。
閉じられたシャッターしか目に入らない寂しい駅周辺の中で、完全に浮きまくっている
豪華な二戸駅の一日平均利用客数は2010年度で741人だそうです。
 んー…(と思ったら二戸駅ひとつ手前のいわて沼宮内駅は1日平均乗車人員は102人で、全国の新幹線の駅では最少人数)政治家様のお力添えってすごいんですね…。
こうゆうことができちゃうから「おらの地元のためにありがとう」で
一票入れちゃうんでしょう。きっとその政治家の政策なんかはきっと関係ないんでしょう。
3.11で何が起こって、どの政治家がどう動いたのかしっかり見て目を覚ませ!
って感じなんですが、きっとお目覚めにはならないんだろうな…。
(いきなり脱線してしまいました)

03二戸から久慈はJRバス・スワロー号で久慈渓流を抜け約1時間(1500円)。
スワロー号は1日7往復しています。近代的な大型観光バスでシートも快適。
乗客は私の他、地元の買い物客らしき叔母さま方が4人ほど。国道22号線を走ります。
風景は山の谷間の平らなスペースはおもに稲作、養鶏、畑。ぽつんぽつんと集落がります。
 途中茅葺屋根の古民家が何軒がありましたが、メンテナンスをしていないのか、震災で崩れたのか、廃屋になっている家がほとんどでした。
 茅葺の家以外は、明らかに震災で被害にあったと思われる家屋損傷は見当たらず
(もしくはすでに修復完了)、やはり今回の震災は「津波」の被害がほとんどだったんだな、
と感じました。
 久慈渓流のあたりはとりわけ緑が濃く、くねくねと曲がるトンネルの多い道。
久慈に向かっているというのに海に向かって走ってるという感覚が全くありませんでした。これは久慈市に入ってからもそうで、終点久慈駅のバスターミナルについても
「ここが港町」という雰囲気か全くありません。

久慈

駅ではお世話になっていたT様とご対面。
T様、今までよくぞお一人で支援物資の仕分けをされていました。
こんな華奢な女性が1年間パワフルに動いていたんだな、どっからそのエネルギーが
出てくるのかな…T様の第一印象です。
お目にかかるのは初めでですが、電話でお声を聴いていたので、頭の回転が速いやり手の方だなとは想像していましたが、ほんと、こんなに小柄な方とは(驚)

 ここからはT様の自家用車にてご案内いただきました。
 まずは遅めのお昼「一味心ひげ」にて。
前もって海鮮丼をお願いしてくださっていたそうなのですが、
海がシケ気味でよい魚が獲れなかったからお客さんには出せない(こだわりの店長さんですw)

ということで、地元でもレアな「短角牛レバーのステーキ」をいただきました。
店長の秘密の調理法で、お口に入れると蕩けてしまうようなステーキでした。
 「誰か特別なお客さんが来たら出そうと思ってたんだよ」そう言って途中、
メバチマグロのカマのお刺身の小鉢が出てきました。
久慈周辺で獲れるマグロはまだ子供で、本マグロになる前の子供のマグロを
メバチマグロといい、久慈で捕まらなかったメバチマグロが北に上がって、
有名な青森・大間の本マグロになるんです。

 

 マスターからは、久慈周辺の海産物のお話を聞きました。
 久慈で有名なのはまずウニ。「美人すぎる海女さん」でも有名ですね。
全国から観光客が集まるようになり、
小袖海女センターという観光スポットを2010年にオープンしたのですが、津波で全部流されてしまったそうです。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、来年の
NHKの朝ドラ「あまちゃん」
宮藤官九郎さんが脚本で、都会から海女になるためにやってきた女の子のお話です。
架空の小さな三陸の港町が舞台ですが、撮影は久慈周辺で行われるようです。

 ウニ、というと私は箱にきれいに並んだウニしか思いつかないのですが、
このあたりのスーパーで売っているウニは海水と一緒に牛乳瓶に入って売っています。
食べるときはキャップを取ってざるにザーッっと開け食べるんだそうです。
ウニのシーズンは7月ですので残念ながらその本物を見ることはできませんでしたが、
スーパーでは同様に牛乳瓶に入ったイクラとツブガイを見ることができました。
他にはこのあたりではマンボウ、どんこ(エゾアイナメ)、イカ等ががよく獲れ食されるようで、鮮魚コーナーに並んでいました。
 地元のお台所事情を伺ったひげの店長は、久慈の道の駅にある食堂の立ち上げ時に厨房で腕を振るっていたそうです。当時は冷凍を使わず、その日とれた新鮮な素材だけを使って調理されていたとのこと。

 美味しいお昼をいただいた後、T様と久慈の沿岸部へ。

 久慈の中心部は(3キロくらい)海岸から距離があり、町の中枢が津波による壊滅的な
被害にあわなかったため、震災当時は岩手県北部の支援拠点になったんじゃないかと
推測されます。
 それでも、町を走る久慈川は逆流し、逆流した水が川の堤防を越え、町は冠水したそうです。
 T様がお勤めの事務所は県の災害対応の役割を担っており、
震災直後から岩手県北部復興の中心であったと思います。
 当時は非常食などの支援物資を隣の町(野田村)まで行くことができないほど
道路が寸断されていたとのこと。(久慈から野田村までは海岸沿いのルートと
山沿いのルートがあり、現在も海岸沿いのルートは部分的に寸断されたままです。)
 ご自宅は無事だったT様ですが、4日お風呂に入る事が出来ず、最初の4日間はインスタント食品ばかりで過ごされたとのこと。その時は気持ちも頭もいっぱいいっぱいで、お風呂に入ってないことなどあまり気にならなかったと。

10_03 久慈湾の北部には造船所と1993年に完成した日本国家石油備蓄基地があります。
石油備蓄基地は全国に3か所、久慈、愛媛、鹿児島にあり、各基地には日本全国で消費する3日分の石油が備蓄されているそうです。
 この久慈の備蓄基地は海岸沿いの切り立った山にトンネルを掘り、そこに石油をためておく基地でした。今回の津波によりこの備蓄基地の地表部は全壊、現在復旧工事が行われています。そのトンネルを利用して作られた観光スポット

「もぐらんぴあ(地下水族館)」も全壊しました。

 現在、もぐらんぴあは全国の支援者の手を借り、久慈の町の中心部に
まちなか水族館として規模を縮小して営業再開しました。
今では久慈の復興のシンボルとして存在しています。
 もぐらんぴあを訪れた子供たちが遊んでいたのでしょうか。
石油備蓄基地の辺りの海の見える公園は、遊具がなぎ倒されたまま、
雑草が生い茂っていました。せつない光景です。

野田村へ

  昭和8年にも村は津波に襲われました。
その時の津波の到達点と、3.11の津波の到達点はほぼ同じだったそうで、
S8年の大津波後、村人の手によって植えられたクロマツがなかったら…
村はもっと深刻な被害にあったと推測されます。

 こうして先人の知恵によって野田村の被害は最小限に食い止められました。
 


 経験は「大地震が来たら『源平坂』に逃げろ」という言い伝えとなり、
その言葉をしっかりと胸にしまっていた野田村の保育所の園児90人と職員14人は
「奇跡の脱出」をしました。過去の経験は津波に対する高い防災意識を生み、
保育所は毎月1回、津波などを想定した避難訓練を実施していたそうです。
(この保育所の仮園舎に16日、ハンドメイドのおもちゃを持って訪問しました)

12 

13_2寸断されている小袖海岸ぞいのルートではなく、山のルートから野田村へ入りました。
 まず訪れたのは、かつて町の中心であった場所。
写真の撮影ポイントからはかつて海が臨めなかった場所です。
 写真奥、うっすら見える海岸線。その手前に見える瓦礫の集積所は、以前はクロマツの防潮防風林地帯でした。手前の雑草の生えているエリアは住宅街…今は電柱1本、
街灯1本ありません。あるのは一軒だけ建物が残った壊れた岩手銀行の建物だけ。

16 町の中心部を離れ、まず向かったのは野田中のグラウンドに建てられた仮設住宅。
阪神淡路の時の仮設住宅と同じモデルだったため、昨秋には防寒仕様の手当てが行われたとのこと。
 4軒ほどがつながった長屋のような仮設が、グラウンドいっぱいに何棟か並んでいます。
訪れたのはひとけの少ない午後4時過ぎ。
プレハブは寂しげで無機質ですが、
どこかから寄贈されたプランターにお花がたくさん植えられているのがホッとします。
 玄関前には後から設置されたという玄関ポーチ(奥行50センチ幅180センチくらい)があり、一応2重の戸のようになっています。
 カメラを持ってあまりうろうろするのも気分を害されるであろうと思い、お写真は撮れませんでしたが、
明らかに見覚えのある「マイ箸からお贈りしたのれん」を
かけてくださっている家を何軒もみることができました

18 この仮設にはT様のご友人が住んでいらっしゃいます。
先月男の子をご出産されたご友人宅を訪ね、玄関戸をガラガラっとあけると…目の前のキッチンスペースにベビーバスが。(増設された玄関ポーチスペースから撮影。玄関あけたらいきなりキッチン、という仮設の不便さがよくわかります)
冷蔵庫と洗濯機が並んでおいてある小さなキッチンで
おばあちゃまが赤ちゃんを沐浴させている最中でした。
男の子と聞いていたので男の子向けの柄のベビースタイと鈴の音がするニギニギ(布製ガラガラ)をプレゼントしました。
 マイ箸の管理人さん、いろいろ荷物を送ってくださってた方が埼玉から来てくださったんですよとT様がご紹介くださると、本当にこんな遠いところまでよくきてくださった。いろいろよくしてくださってありがとう、とおばあちゃまが
目を細められていました。

20この野田中仮設は山に向う坂道の途中にあり、すぐ横が中学校の校舎になっています。その一帯は「中平遺跡」という遺跡群で、岩手県指定史跡第1号なんだそうです。
 時代的に古いものは縄文時代、新しいものは平安時代の物が出てくるんだそうです。
昔の人たちは海の怖さを知っていて、わざわざこのちょっと不便な高台に
集落を作ったのでしょうか。
中学校の校舎から50メートルほど上がったところにまもなく、仮設を出て家を建てられる方が住む住宅候補地がありました。

 

 区画は300平米くらいでしょうか。宅地造成する前に木を切って調査したら
竪穴式住居跡が3.​4つ、鹿を仕留めるための罠、土器などがでてきました。
(事前調査で掘ったら何かが出てくるところなので予想はできていたそうなのですが)
本来このように遺跡や史跡がでてきてしまった時には、土地の持ち主が発掘調査の
費用を持たなくてはいけないそうなのですが、その費用は1千万を超えるとのこと。
地主さんにもそんな費用は出せないし、かといって、遺跡を無視して造成することは禁止されている、仮設の人は、早く家を建てたい…という事で、この場所に関しては特例で村が調査費用を出しているんだそうです。

 この遺跡を現在発掘調査されている地元のH組の社長Hさんとこの遺跡で合流し、お話を伺いました。そしてこの後海岸沿いを案内していただくことになりました。

 

 長くなりましたので、今日はここまで。

ウルトラ警備隊のようなHさんの九死に一生をえたお話と、案内していただいた浜のクロマツエリア、瓦礫集積場の話は次回、近日中にUPいたします。

23ただ今、6月いっぱいまで野田村のダラスコ工房のオヤジさん達が作る被災地復興商品のデザインとアイディアを募集しております。詳細こちら

****************************************

今回の旅のお写真は全部、FBにて一般公開しております。FBユーザーでなくてもご覧いただくことができます。こちらを押してジャンプしてください。

2012年6月18日 (月)

岩手・野田村 写真を先にUPしました。

15.16日と野田村へ行ってまいりました

24_3_2
整理しなくてはならない膨大なメモ書きがあり、スミマセン、まだ詳細のブログが
UPできません。

取り急ぎフェイスブックで写真(一枚づつコメント付き)をUPいたしました。

フェイスブックのユーザーでなくても、一般の方が観られるように設定してあります。
(FBのコメント欄はユーザーのみ書き込み可です)


ここから(←クリックでジャンプ)ご覧ください。

※一枚目のクリックしていただくと大きな写真が出てきます。
写真の横の矢印で次々ページがめくれます。

…一足先に告知をさせていただきます…

マイ箸第2ステージとして
次の支援…「知恵」の支援を始めます。


皆様からのアイディアとデザインを募集いたします。

53野田村のダラスコ工房という山間の工房で、被災したクロマツを使って木工小物を作り、
復興支援商品を作ろうという動きがあります。
商品の代金は、作り手さんの内職代と、
新しく防潮林として植える木の苗木を買う費用(千年の松基金)になります。

はじめたばかりの「浜のおやじさん」達による木工細工。
技術もまだまだで、商品も試作品段階のものが多いです。
漁の無い日、工房に集まって作業をする親父さんたち。


宿泊した苫屋さんの奥様は、村のハンドメイド復興支援商品作っている小さなチーム(グラシアの会、ダラスコ工房、ちよまの会、みずきの会、福来豚チーム)全部に関わっていらっしゃっていて、苫屋さんにはその商品の一部が置いてあります。
夕飯をいただきながら品物を拝見しました。
外から来た方の目で「商品としていけるか、魅力はあるか」など参考に聞きたいとのこと…。

Image_4

←1つ、ホタテの形の根付を購入してきました。
松の木目が可愛いですが…
正直に申し上げて人気の商品にはなりそうにありません。

被災から1年以上たった今、やっつけの商品、適当なデザインではその先の展開はないなと想像するのは容易です。
…ありきたりの根付や箸置きだけでは販促のルートも狭く、一時のブームで終わってしまいます。
そこで、この先も町のお土産に代表になるような、全国の人が買いたくなっちゃうような
素敵な木工アイテムを考えましょうよという話の流れになりました。

使うクロマツは、昭和8年の大津波の後に、町民の手で植えられ、
今回の大津波で村を守りながら倒れていった78歳のクロマツです。

クロマツは柔らかくしなやかで加工しやすく、軽いため水に浮くんだそうです。
反面、長期間の乾燥(おそらく3.4年)をしていないものは歪んでしまうんだとか。
例えば、試作としてお箸を作られたそうですが、曲がってしまって製品にならないそうです。


保育所へお届けするお荷物の中に、群馬県のT様が作ってくださった
木工パズルがあったのを思い出し、こんなのはいかがでしょうかとお見せして
お話ししたところ凄く良いアイディア!と喜んでいました。

T様のパズルは動物パズルだったんですが、
海の町だし、「野田村の海の仲間たち」なんていいんじゃないですか!?
「そりゃ、いいわ!」
そしたら、全国の水族館とかでも交渉して販売できるんじゃないでかしら
「そりゃいいわ!」
…お話はどんどん進みます。


「じゃ、大島さん、海の仲間たちのデザインよろしく(私の前職業を知ってオーナーが)

「いやいや、うーん、せっかくなのでマイ箸の皆さんにもデザイン考えてもらいましょう

という運びとなった訳です。

寄せていただいたアイディアとデザインは、すべて工房へお届けします
それをもとにオヤジさん達が試作をして、商品として開発していきます。
(ちなみにギャランティーはありません。採用された方には製品化したものは現物を一つくださるそうですw)

募集するのは…

(1)被災したクロマツを使った木工小物のアイディア
 言葉の説明にプラスして、写真やイメージスケッチを添えていただけると助かります。

 
(2)「野田村の海の仲間たち」をイメージしたパズルのデザイン案。
 イラスト可、下絵となりうるもの。版権の問題がありますので、イラストやデザインは
 オリジナルに限ります。
 試作品が作りやすいように、完成すると20×20センチくらいの木のパズルに
 なるように図案を考えてください
木の厚みは2センチ程度を考えています。

 参考までに…
野田村周辺で獲れる海の生き物~
どんこ(エゾアイナメ)、ホタテ(ホタテの稚貝の出荷が許可されている圏内唯一の産地が野田村だそうです)、ほや、いか、わかめ、エイ、マンボウ、ウニ、サケ、カレイ。

特に鮭とホタテといえば野田村!という名産地だそうで、絶対入れて欲しいというリクエストがあります。上記のもの全種が入ってなくてもOKですが、鮭とホタテだけは必ず入れてください。

メール(写真やPDFの図面添付可)
もしくは
郵送でアイディアをお寄せください。

締め切りは6月30日(消印有効)で、管理人までお願いいたします。

そしてもうひとつ…苫屋さんでの会話で火がついて、前から水面下で企画していたプロジェクトがそろりそろりとスタートしました。こちらはもう少し、お話が進んで来たら皆さんにご報告できると思います。
こちらのプロジェクトでも、マイ箸の皆さんもアイディアやデザインを募集させていただく予定です。楽しみにしていてくださいね。

取り急ぎ今日は、写真のUPリンク先のご紹介と新規募集のお知らせまで。
近日、野田村を案内してくださったお話を含め、詳細をUpいたします。

 

2012年6月 7日 (木)

岩手へ行ってまいります~手作りおもちゃのお礼

野田村の保育所へお届けするハンドメイドおもちゃにご協力いただいた皆様
ありがとうございました。


6/16 管理人がお届けに行ってまいります。

Image_16↑宮城県Y様 スイーツおままごとセット。

ベビースタイ 66枚(51枚は福島へ 15枚は野田村へ)
ニギニギ、ガラガラなどベビーおもちゃ 8点
パペット、指人形など 10点
木製パズル 1セット
ボタン駆け練習おもちゃ 7点
釣りゲーム 1セット
万華鏡 1
おままごとセット(お野菜、スイーツ、お弁当など) 8セット
布絵本 1冊
フェルトマスコットの陣取りゲーム 1点

ベビースタイはサイズが小さめのもの51点は、茨城のT様に託し、
福島県の新生児ベビーちゃん(産科)へお届けしていただきます。
(こちらのご報告も、後日UPいたします。)

 マイ箸プロジェクトは一度休止しているので、そんなに集まらないだろう…
管理人は「おもちゃだし、背負って行けるだろう」と思っていました。
嬉しい誤算でした。

子供達、きっと喜んでくれると思います。
開封した私の目がきらーん!ってなってましたもの!

こうして今も
三陸に心を寄せてくださって感謝です。

Image_10↑埼玉県T様 ねずみ兄弟のパペット 

************************************************************************

 *岩手へ行ってまいります~後編*

前回、ドヤ顔でご紹介しました苫屋さんですが、
今発売中のブルータス No.733 6/1号 記憶に残る夏にする、海宿、山宿。の
巻頭4ページで紹介されています。

ご興味のある方はご覧になってみてください。素敵な写真沢山載ってました。

2日目。

苫屋さん出て、旅の目的の一つ野田村の保育所を訪ねます。
土曜日なので、平日より子供たちは少ないはず…直接子供たちにお渡しするのは
不公平感ありでちょっと無理かなぁ…?
でも開けた時の喜ぶ顔が観たいなぁ

実は昨年4月(マイ箸が始動する前)、この保育所が移設して仮オープンする際に
我が家の子供たちが通ってる幼稚園の卒園生に声をかけて集めた、
「鈴」と「カスタネット」をお贈りしているんです。

楽器、使ってもらえたかな?
クリスマスにマイ箸で贈ったおもちゃ、使ってくれてるかな?

それから時間のある限り、野田村を散策する予定です。
村の方にお話し聞けるかな?

十府ヶ浦海岸行けるかな?

野田村でゆっくりしたいところなのですが、二日目は強行軍。
なにがなんでも12時44分発の三陸鉄道に乗らないとなりません。
なぜかって、これを逃すと…次の列車が2時間後なんです。


1日目と同じルートで久慈経由で二戸から帰るルートと、
久慈から八戸へ出るルートもあったのですが、できる限り三陸をこの目でみたいので、
時間がかかりますが三陸鉄道北リアス線でトコトコ沿岸部を南下するルートを選びました。

陸中野田から田野畑までは鉄道、田野畑からはまだ復旧していないので
小本まではバスになります。
小本から宮古まではまた三陸鉄道なのですが、
乗継のバスのはずがなぜか1時間待ち時間があります。

この小本は「岩泉龍泉洞」のへの玄関口。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、岩泉龍泉洞は
日本三大鍾乳洞のひとつ。
行ってみたかったですが、今回は残念ですが飛ばします。

宮古も浄土ヶ浜をはじめ、風光明媚な場所…そして大きな被害にあった場所です。
もしもう1泊できるのなら宮古でお宿をとって、龍泉洞や浄土ヶ浜に行けましたね…。
今回は駆け足で。(うっうっ、もったいないけど飛ばします。)


宮古からは山田線に乗って盛岡を目指します。
ここからは海岸線を離れ山の中を走ります。

メジャーな三陸鉄道に比べ、知名度も低い
山田線。(←クリックするとWikiに飛びます)
リンク先のWiki、下の方に駅の一覧があり、そこをクリックすると駅舎の様子が
わかるのですが…素敵な無人駅多い!!
そして盛岡に到着が18時。

野田村を出てから宮古経由で盛岡まで5時間半。
盛岡から大宮まで新幹線でプラス2時間、自宅のある最寄駅まで+1時間で計8時間半
凄い移動時間です。
外国に行けちゃいますね(笑)

ローカル列車の旅。どうなることやら…

車窓からになってしまいますが、岩手の沿岸部をしっかり見てきます。
そして皆さんにご報告いたしますね。

電波と電池がある限り、ツイッターで写真などつぶやく予定です。
ツイッターアカウントをお持ちでない方も、当ブログ左側真ん中にある
「他のアカウント twitter zaziechan」をクリックすると見ることができますので
バーチャル岩手旅行をお楽しみください。

では出発まであと1週間。
いってまいります!

製作していただいたハンドメイドおもちゃのお写真の一部を
ご紹介します。下の「続きを読む」をクリックしてください。

続きを読む "岩手へ行ってまいります~手作りおもちゃのお礼" »

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